亡き父の病気と看取りを通して、初めてターミナルケアの重要性を知る

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病室で排便するというスタイルがとられている病院がありました。
歩行困難になりますと、何日かに一度のペースで浣腸を行い排便を促します。
その処置が、病室で行われていたのです。
相部屋です。
カーテンの向こう側から、「痛いよ。やめて。」という声が何度も響きわたり、大便の匂いがたちこめてきます。
最後に看護師たちが床に汚れた衣類を投げ捨てました。
カーテン越しに居りました私は、苦しいですし嫌ですし哀しかったです。
何処か別の部屋で処置して欲しいというのが正直な感覚です。
私がその時に部屋から出れば良かったのでしょう。
しかし、動けないのです。
しかも弱っていますから、看護師さんたちに嫌だという事を言えませんでした。
だって意地悪をされてしまうと思いますから。
そんな時に、誰か家族が口添えしてくれればよいのにな、と思いました。
病院では弱っている時に多数の看護師相手に戦っていかなければなりません。
大変疲れますから、家族の協力がありますとありがたいです。

23年前に父を病院で看取った時の話をしたいと思います。

父の病名は特発性肺線維症と言うもので、少しずつ有効な治療薬が開発されつつある現在でも、国の難病と指定されており、難治性の高い病気で進行も早く、父の場合判明した時にはすでに末期と診断され、有効な治療法は、その頃はまだ国内では認可されていない肺移植しかない状況でした。

親戚のお医者様の紹介で、この分野では専門的な治療で有名だと言う、国立病院の部長先生に罹ったのですが、当初まだ病名が判明する前で、自宅から遠方だったこともあり、別の病院に罹ることも私は提案したのですが、息苦しさを自覚する様になって以降、どんどんその症状が進行して不安を感じている、父本人の意向を優先させて決めた病院でした。

お医者様からの紹介と言うこともあり、母から心付けのお金を渡していたせいか、当初は感じ良く丁寧に接していたものの、その内に病室に訪れることも少なくなり、たまに訪れても、まだ意識がはっきりしている父が居る病室でもお構いなしに、末期で手の施しようがないことを念を押す様に、検査結果を振りかざして説明するだけで、患者や家族への配慮は一切なく、病気へ立ち向かう医療人としての熱意もさほど感じられない方でした。

父の病状も、最初の頃ステロイド治療により一時的に回復が見られたものの、病気の進行は止められず、やがてマニュアル通りの延命治療だけが繰り返される日々が続き、それでも当時は信じて任せることしか出来ず、何度となく家に帰りたいと言う父をなだめて結局そのままその後も入院を続け、一度も家に帰してあげられず、この病院で看取ることになりました。

その頃まだ、今ほどセカンドオピニオンは一般的ではなく、すでに病状がかなり悪化してから判明したこともあり、その症状に苦しむ父の意向で決めたことだったのですが、どうしてこんな医者や病院に任せてしまったのかと言う、憤りや深い悲しみと共に、とても強い後悔が家族には残り、その思いは今も消えずにあります。

今あるターミナルケア(終末期医療)がどれほど充実されているかは不明ですが、父が亡くなった頃は、ターミナルケアについて、医療人にもまだまだ未熟な人が多く、その医療人を頼らざるを得ない意味では、私達患者の家族も未熟だったと言えると思います。

決して予想だにしない、起こって欲しくないと思っていた、辛い形での経験でしたが、父の病気と病院での看取りを通して、初めてターミナルケアの重要性に気付かされた、貴重な経験となりました。

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